大阪地方裁判所 昭和41年(ワ)2374号 判決 1967年11月20日
原告
西井徹
同
西井洋子
右両名法定代理人後見人
松田ユキヱ
右両名訴訟代理人
間狩昭
被告
国際興業株式会社
右代表者
坪井準二
右訴訟代理人
岡田善一
同
赤鹿勇
同
門脇正彦
同
出宮靖二郎
同
太田全彦
主文
一、被告は、原告西井徹に対し一〇、六九三、一九五円、原告西井洋子に対し一一、二九三、一九五円、及び右各金員に対する昭和四一年四月一日から支払済迄年五分の割合による金員を支払え。
二、原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三、訴訟費用は四分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
四、この判決は第一項に限り、仮りに執行することができる。
五、被告において、原告らに対しそれぞれ八、〇〇〇、〇〇〇円宛の担保を供するときは、右各仮執行を免れることができる。
第一 本訴申立
被告は、原告西井徹に対し一九、〇五八、九三八円、原告西井洋子に対し一九、七一八、九三八円、及び右各金員に対する昭和四一年四月一日から支払済迄年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言。
第二 争いのない事実
一、本件交通事故発生
時 昭和四一年三月三日午前零時二五分頃
ところ 大阪市大淀区長柄西通三丁目一二番地先中津運河
事故車 普通旅客用自動車
右運転者 高尾十太郎
死亡者 西井正行及び西井愛子
現場の状況並びに事故の態様 本件現場附近は変形四叉路となつていて東西に通じる道路(幅員五・五〇米)があり、これより右交叉点を起点として東南に通じる道路(幅員五・七〇米、以下本件道路という)と南方に通じる道路(幅員六・七五米)が存し、東西路の北側は同路に沿つて中津運河が設けられているが、西井正行と西井愛子が乗客として同乗していた事故車が本件道路の方へ北進してきて中津運河へ転落し、よつて右両名は即死した。
二、事故車の運行供用と訴外高尾の雇傭関係
被告は旅客運送業のため高尾十太郎を雇傭して事故車をその運行の用に供しており、本件事故当時も高尾は正行及び愛子を乗客として乗車させて事故車を運行していた。
三、原告らの権利の承継
原告両名は正行及び愛子の実子として同人らの各権利をそれぞれ二分の一宛相続によつて承継した。
第三 争 点
(原告らの主張)
一、被告の使用者責任(前記運行供用者責任に対する第二次的請求)
被告は前記の如く高尾を雇傭しており、本件事故は高尾が被告会社の業務執行中に生じたものであるところ、高尾が本件道路上を北進してきて本件現場附近に差しかかつた際、前方を注視せず高速度のまま本件交叉点を右折も左折もせずに直進した過失により発生したものであるから、被告は前記運行供用者責任に次いで第二次的に使用者責任を負担する。
二、正行の受けた財産的損害
正行が本件事故によつて喪失した得べかりし利益は別紙(一)損害算定表記載のとおりであるが、その算定上特記すべき点は次のとおりである。
正行は死亡当時満四七才であり、本件事故にあわなければなお二五・七九年生存し、少くともなお一八年間は稼働することができた筈であるが、事故当時三共株式会社大阪工場に経理課長として勤務していたので満五五才の停年に達する迄は同会社に勤務して少くとも同工場次長に昇進し、事故の翌月である昭和四一年四月から同年一二月迄は給与合計九五三、九五〇円、賞与九四五、〇〇〇円合計一、八九八、九五〇円の所得を得、昭和四二年以降五五才に達する迄は昭和四一年度の所得を基準として毎年給与六〇、〇〇〇円、賞与五〇、〇〇〇円宛昇給し、前記停年時には二、八四〇、〇〇〇円の退職一時金を支給され、右停年後は同社傍系会社に取締役に就任して満六五才に達する迄毎年給与一、六八〇、〇〇〇円、賞与一、三〇〇、〇〇〇円合計二、九八〇、〇〇〇円宛の所得を得て満六五才に達して退職する際には二、五〇〇、〇〇〇円の退職一時金を得ることができた筈である。
他方原告ら家族は、全家計費用として一ケ月につき五四、〇四五円を要していたところ各消費単位指数は正行一、愛子〇・九、原告ら各〇・六の割合であり他に正行は一ケ月一〇、〇〇〇円宛の小遣いを消費していたので正行及び愛子二人の一ケ年の生活費は五一七、四九二円となるが、昭和四一年四月から一二月迄九ケ月間は右金額の一二分の九にあたる三八八、一一九円(原告主張の三七八、一一九円は誤記と認む)を支出した筈であるから右期間中に正行が挙げ得た収益は前記一、八九八、九五〇円から三七八、一一九円を控除した額となり、昭和四二年度以降も昭和四一年度と総収入額に対して同じ比率の消費支出を要する筈であるから昭和四二年度以降は昭和四一年度の収入総額二、二〇四、二〇〇円を以つて同金額から右五一七、四九二円を控除した一、六八六、七〇八円を除した割合を各年度の総収入額に乗じた数額が正行が当該年度に挙げ得た筈の収益となる。
そこで、これを本件事故発生日における一時払金額に換算するためホフマン式計算方法により、一年毎に年五分の割合による中間利息を控除して右一八年間分を合算すると三〇、一〇〇、七四六円となり、正行は右同額の損害を受けた。
三、原告両名の損害
(1) 葬祭費
原告両名は正行及び愛子の葬祭費として各自七一、三八九円宛支出した。
(2) 精神的損害
本件事故当時、原告徹は高等学校三年に在学中であり、原告洋子は中学校在学中であつて原告両名は両親を同時に瞬時にして失ない多大の精神的打撃を受け、正行の死亡により社宅であつた当時の家屋から立退かねばならなくなり特に原告洋子は幼時にマヒ性疾患にかかり知能低く下肢に軽い後遺的機能障害があつて現在特殊学級に入級し生涯独立して社会生活を送ることは困難であるので特に多大の精神的打撃を受けた。右精神的損害に対する慰藉料は、正行を亡くしたことによつて原告徹につき一、〇〇〇、〇〇〇円、原告洋子につき一、三〇〇〇、〇〇〇円、愛子を亡くしたことによつて原告徹につき一、〇〇〇、〇〇〇円、原告洋子につき一、三〇〇、〇〇〇円を相当とする。
(3) 弁護士費用
原告らは本件事故当時未成年者であり、被告に対して本件事故に基づく損害賠償請求訴訟を提起するため後見人を選任することを要したので、大阪弁護士会所属弁護士間狩昭に対し後見人選任申立を委任し各自二五、〇〇〇円宛支払い、更に同弁護士に対し被告に対する損害賠償請求訴訟を委任して各自着手金二〇〇、〇〇〇宛支払い、勝訴の場合に謝金として取得した利益の一割にあたる、原告徹は一、七一二、一七六円、原告洋子は一、七七二、一七六円を各自支払う旨を約したので、弁護士費用として原告徹は、一、九三七、一七六円、原告洋子は一、九九七、一七六円の各損害を受けた。
四、よつて被告に対し、徹は正行から相続により承継した右二の半額一五、〇五〇、三七三円と三(1)(2)(3)との合計一九、〇五八、九三八円、原告洋子は正行から相続によつて承継した右二の半額と三(1)(2)(3)との合計一九、七一八、九三八円及び右各金員に対する本件不法行為発生の後である昭和四一年四月一日から各支払済迄年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払を求める。
五、被告の抗弁に対する反対主張
本件事故は、前記の如き高尾の過失によつて生じたものであり、又被告は疲労度を看過した苛酷な従業員勤務条件を強いていた結果高尾が疲労により右の如き粗暴運転をなしたのであり、仮りに被告主張の如く本件事故以前に中津運河附近で同運河への自動車の転落事故が続出していたとすれば、被告は、高尾を採用する際同人が地理不十分・経験不足と認定しながらわずか一週間他の同僚車に同乗させたのみで本件現場の地理状況の知識もないまま同人に単独運転に従事させており、被告自らも現場附近の地理を知悉していながら不注意にも本件事故発生迄前記中津運河への転落事故の続出していたことを知らず従業員に同運河への転落の危険性について注意を与えなかつたため本件事故が発生したものであるから、本件事故発生については被告にも右の様な過失がある。
(被告の抗弁)
本件事故は、現場附近の道路管理者である大阪市の管理上の過失と正行らの過失が競合して発生したもので、事故車運転者高尾並びに被告には本件事故発生についての過失はなく、事故車には構造上の欠陥も機能の障害もなかつたものである。
(一) 前記東西路はその中央部から北側が中津運河に向つて下り勾配になつていてその高差は約五〇糎あり、本件現場附近運河岸には防護棚或いは照明灯等は設置されておらず、高尾は本件道路上を東西路の方へ進行してきて、東西路との交叉点に差しかかつた際時速一〇粁で徐行しつつ前方を注視していたのであるが、後記の如き当時の現場の状況から中津運河をも東西路をなすものとの錯覚を生じたところ、正行らが右折するよう命じたので右に転把し約二・八米進行して東西路に進入しかけた時同人らが再度左折するよう命じたので即座に左に転把しつつ約九・八〇米進行した地点で突如東西路に接して目前に中津運河があることを発見し、直ちに急停止の措置を採つたが、その時既に事故車は前記運河に向つての下り勾配面上にあり、しかも降雨のため道路が滑り易くなつていたため右前車輪から運河に転落し、事故車の重心も前部に移動して制動装置も無効に帰したものである。
(二) 右の如く本件現場には運河と道路を識別すべき何らの工作物も設置されていなかつたうえに、本件事故時は前記の如く深夜でかなり激しく降雨中であつたためもやが発生し、このもやと雨が一体となつて東西路と運河との識別を不可能とするに止らず運河そのものをあたかも道路の如く錯覚せしめる状態となつており、自動車の前照灯によるも右錯覚が生じるのを防ぎ得なかつたものである。
ところで中津運河畔における夜間降雨中の自動車の運転は到底その安全を帰し得ないものであることは、別紙(三)中津運河畔事故一覧表記載の如く本件現場並びにこれと同一条件にある同運河畔での自動車の同運河への転落事故が続出していることによつて明らかであり、右の如き事故発生の度毎に附近住民は所轄大淀警察署に対し防護柵或いは照明燈の措置等の事故防止方策を採るよう陳情し、同署もその都度大阪市に対し事故防止方策を講ずるよう要請していたのである。従つて本件現場附近道路の管理者である大阪市は、本件現場附近の道路の通行の危険性を知悉していた筈であるにも拘わらず、本件現場附近運河岸に防護柵或いは照明灯の設置等安全施設を設けずこれを危険な状態のまま放置していたことは、本件道路の管理に瑕疵があつたのであり、本件事故はこのような道路の瑕疵によつて生じたものである。
(三) 又正行らが再度左転把を命じた地点から左方に転把すれば、事故車は直ちに前記下り勾配面上に入り瞬時に同車前輪が転落する状態であつたのに、正行らが本件現場の状況を知悉しながらこのような急激なハンドルの切直しを命じたため本件事故が発生したものである。
(四) 被告は本件事故現場が前記の如く危険な場所であり、度々転落事故があつたことは本件事故後に知つたもので、従つてこれを従業員に周知させることは不可能であつた。
第四 証拠<略>
第五 争点に対する判断
一被告の運行供用者責任免責の抗弁に対する判断
(一) 本件現場の状況
<証拠>を綜合すれば、本件事故当時、本件現場附近道路はいずれも未舗装で、本件道路は東西路に斜めに接続する状態となつているので右接続地点の幅員は九・〇六米あること、東西路(前記の如く幅員五・五〇米)は運河岸から三・六〇米の幅でその北側部分が中津運河に向つて下り勾配となつていてその高差は四五糎あること、中津運河の幅員は一八・九〇米ありその北岸は淀川の堤防となつていること、本件現場附近には街燈或いは人家の門燈等の照明設備、運河の危険標識若くは運河岸の防護柵等はいずれも設置されておらず、事故前日午前一〇時頃からかなりの降雨があつたが事故当時は露雨程度であつたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
(二) 事故車の走行状況
<証拠>を綜合すれば、高尾は本件道路上を時速一〇粁以下で前照燈は減光せずに東西路の方へ北上し、東西路の手前約一二米の地点に差しかかつた際、その前方が開け東西に広い舗装道路が通じていると錯覚したところ、正行が右折するよう命じたので右方に転把しつつ約七・五〇米進行した時同人が再度左折するよう命じたので、高尾は左前方に何ら障害物を認めず広い道路だと思いつつ制動操作をしてほとんど停止状態から左折を始め、約四・三米進行した地点(ほぼ東西路への進入点)から左転把の態勢のまま変速器をセカンドからロウに変え、東西路を斜めに一〇・八五米進行し転落地点から二・四五米手前迄達した時、事故車が運河に向う下り勾配上に進み右前方へ傾斜し始めたので突嗟に危険を感じ急停止の措置をとつたものであるが、事故当時降雨のため中津運河にはもやが発生しており、前記の如く運河を識別させるべき工作物も設置されていなかつたので、このもやのため東西路から運河を識別することは極めて困難で、高尾は運河に転落しかけて始めてその存在に気付いたものであり、又降雨のため道路が滑り易くなつていたうえに事故車が運河への前記下降勾配面上にあつたため徐行していて急停止の措置をとつたが及ばなかつたものと認められる。
しかし、他方証人高尾の証言によれば、本件事故当時中津運河の水面は東西路の同運河岸から約五〇糎下つたところにあり(従つて同路の中央部からは約一米下方)、高尾が東西路にさしかかつた際前方一体がぼんやりとかすんでいて、同人は広い道路に出たが本件道路は東西路と交叉してそのまま北西へ通じているものと思つたが、同運河北側の淀川堤防を認識していないというのであるから、本件事故当時運河の水面そのものを道路面と錯覚する状態にあつたのではなく、証人佐野の証言によつて認められる如く淀川堤防と東西路との間の状況はもやのため白くかすんで判りにくい状態であつたにすぎなかつたものと思われ、又甲二五号証によれば事故車前照灯は減光していたというのであり、前記の如き東西路と中津運河の幅員を併せると二四・四〇米となることからすれば、高尾は東西路に差しかかつた際、突然前方にもやがかかつて見通しのきかない場所が開けたにも拘らず、前照灯をラージ燈とせず前方の道路を十分確認しないまま東西路に進入したため、中津運河の発見が遅れて本件事故の発生が避けられなかつたものではないかと疑われるのである。
そして<証拠>によれば、別紙(三)中津運河畔事故一覧表中三、五ないし七及び一一の如き本件現場並びに中津運河畔において夜間降雨中自動車の中津運河への転落事故が発生していることが認められるけれども、右事実によつても未だ右疑いを払拭するに足らず、他にこの疑いを払拭するに足りる証拠はないので、被告は事故車の運行供用者として損害賠償責任を免れない。
二正行の受けた財産的損害
正行が本件事故によつて喪失したと認められる得べかりし利益は別紙損害算定表記載のとおりであるが、その算定上特記すべき事項は次のとおりである。
<証拠>によれば、正行は大正七年一一月二五日生れで本件事故によると死亡当時満四七才であつて普通健康体であつたこと、昭和一五年製薬業を営む三共株式会社に入社したが、その後関西大学夜間部を卒業して昭和三五年に同会社大阪工場経理課長に就任し本件事故当時その地位にあり、同会社の停年は満五五才に達した時であることが認められ、右事実と、満四七才の普通健康体の男子の平均余命年数は昭和四一年簡易生命表によれば二六・一三であることを合せ考えると、正行は本件事故にあわなければ五五才の停年に達する迄三共株式会社に勤務し、右停年後も少くとも六五才に達する迄就労し得た筈であると認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
しかし、正行は右停年時には少くとも同会社大阪工場次長に昇任し同会社停年後はその傍系会社に取締役として就任する筈であつたとの原告らの主張については、<証拠>によれば、三共株式会社には傍系会社が二二社あり、同社経理課長を歴任して工場次長ないし本社部長からこれら傍系会社取締役に就任した者があることが認められるけれども、右事実から直ちに原告ら主張の事実を推認することができず、他にこの事実を認めるに足りる証拠はない。
<証拠>によれば、正行は死亡当時三共株式会社から給与一ケ月一〇一、七五〇円、年間賞与九四五、〇〇〇円を得ており、給与は昭和四一年四月から昭和四二年三月末日迄は一ケ年に三八、二〇〇円昇給して同期間中の給与合計一、二五九、二〇〇円となり、同年四月一日から前記五五才の停年に達する迄一ケ年給与六〇、〇〇〇円、賞与五〇、〇〇〇円宛昇給し、停年に達して退職するとき二、八四〇、〇〇〇円の退職金を支給されることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はなく、停年後の五五才から六五才迄は、前示正行の経歴、健康状態並びに総理府統計局編第一七回日本統計年鑑(昭和四一年度)によれば、昭和四〇年度における男子の五〇才から五九才迄の平均賃金は一ケ月四六、八〇〇円で、六〇才以上のそれは三三、一〇〇円であることに照らすと、正行は三共株式会社退職後も再就職し、少くとも、五五才から五九才迄は一ケ月四六、八〇〇円宛、六〇才から六五才に達する迄は一ケ月三三、一〇〇円宛の収入を得ることができたものと認めることが相当である。
そして、<証拠>を綜合すれば、本件事故当時正行一家(正行、愛子及び原告両名)の全家計費用は一ケ月六〇、〇〇〇円宛支出し、他に正行個人の小遣として一ケ月一〇、〇〇〇円宛支出していたことが認められるところ、正行生存の場合の同人個人の一ケ月の生活費は、原告らの自認する、右家計費用に対し消費単位指数を正行一、愛子〇・九、原告ら各〇・六の割合とした一九、三五五円と小遣い一〇、〇〇〇合計二九、三五五円を越えるとは認められず、従つて事故当時の一ケ月の収入に対する同人個人の生活費の割合は二八・八五パーセントとなり又賞与に対しても同割合の個人消費費用を支出し、事故後六五才に達する迄一八年間各収入に対し右同割合の生活費を要するものと認めるのが相当であるから(但し退職金を除く)正行は右期間中、各収入からそれに対応する二八・八五パーセントの生活費を控除した残額相当の純収益を得ることができた筈であると認められ、右逸失利益額から年五分の割合による中間利息をホフマン式計算により控除してその現価を算定すると別紙(二)算定表記載の如く一五、七九三、六一二円となり、正行は右同額の損害を受けたものと認められる。
三原告らの損害
(1) 葬祭費
<証拠>によれば、原告両名は正行及び愛子の葬儀費用として各自七一、三八九円宛支出したことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
(2) 慰藉料
<証拠>によれば、原告ら主張の如き事実が認められ、これら事実と本件全証拠によつて認められる諸般の事情を斟酌すれば、原告らが受けるべき慰藉料の額は、正行が死亡したことにより原告徹につき一、〇〇〇、〇〇〇円、原告洋子につき一、三〇〇、〇〇〇円、愛子が死亡したことにより原告徹につき一、〇〇〇、〇〇〇円、原告洋子につき一、三〇〇、〇〇〇円をもつて各相当と認める。
(3) 弁護士費用
<証拠>によれば、原告両名は、その主張の如く訴により被告に対し損害賠償を求めるため大阪弁護士会所属弁護士間狩昭に対し未成年者である原告両名の後見人選任事件並びに本件訴訟事件を委任し、報酬及び着手金を支払い並びに謝金の支払を約したことが認められるところ、甲一一号証によつて認められる大阪弁護士会の報酬規定の内容、後見人選任事件及び本件事案の難易並びに右認容すべきものとした損害額等諸般の事情を考慮すれば、弁護士費用のうち原告らの損害として被告に賠償させるべき額は、原告両名各自、後見人選任事件の報酬として二五、〇〇〇円宛、本件訴訟事件の着手金につき二〇〇、〇〇〇円宛、同謝金として五〇〇、〇〇〇円宛合計七二五、〇〇〇円宛と認めるのが相当である。
四原告らの相続
原告らは正行の実子として前記二の正行の被告に対する損害賠償請求権を各二分の一宛相続により承継したことは当事者間に争いがない。
五被告の過失相殺の抗弁に対する判断
<証拠>によれば、事故車が東西路の手前約一二米の地点に差しかかつた際、正行は右折するよう命じ、その一、二秒後事故車が右方に向きつつ約七・五米進行した時、再度左折するよう命じたことが認められるけれども、右事実をもつては本件事故発生につき正行に過失があつたとは認められず、他に正行らの過失を認めるに足りる証拠はない。
六以上により、原告らの本訴請求は、被告に対し、原告徹が正行から相続した前記二の二分の一宛と同三(1)(2)(3)の合計額一〇、六九三、一九五円、原告洋子が正行から相続した前記二の二分の一宛と同三(1)(2)(3)の合計額一一、二九三、一九五円及び右各金員に対する本件不法行為発生の後であること明らかな昭和四一年四月一日から各支払済迄民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当として認容し、その余の請求はいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条仮執行並びに同免脱の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。(亀井左取 谷水 央 大喜多啓光)
別紙(一) 損害算定表
別紙(二)
別紙(三)
中津運河畔事故一覧表
番号
発生日時
場所(天候)
自動車の種類
被害の種類
一
昭三七・一一・一六前 1.30
大淀区(雨) 本庄川崎町五丁目四
タクシー
物損
二
昭三八・四頃 夜
同区(雨) 長柄中通四丁目五五
自家用普通乗用自動車
物損
三
昭三八・五・一八前 3.00
同区(雨) 長柄西通三丁目一二地先
同右
死亡一名(同乗者)
四
昭三九・五・一〇後 8.00
同区(雨) 長柄浜通四丁目七
タクシー
物損約三〇万円
五
昭三九・五・二四後 8.45
同区(雨) 本庄中通五丁目二二地先
同右
物損約三万円
六
昭四〇・五・一五前 2.00
同区(雨) 長柄中通四丁目五地先
自家用普通乗用自動車
物損約一万円
七
昭四〇・九・一三後 11.15
同区(雨) 豊崎東通三丁目一二地先
同右
死亡一名(運転手)
八
昭四〇・九頃前 2.00
同区(雨) 長柄中通四丁八九
自家用小型乗用車
物損
九
昭四〇・一二頃後 11.00
同区(雨) 本庄中五丁目二二
自家用普通乗用車
物損
十
昭四一・二頃 夜
同区(雨) 本庄中五丁目二二
タクシー
物損
十一
昭四一・三・三前 0.25
同区(雨) 長柄西通三丁目一二地先
同右
死亡三名(同乗者)